木漏れ日の散歩道

小鳥が囀り、小川がせせらぐある森の中、木漏れ日が誘うその奥に、ひっそりとたたずむ小さな祠。そこに座ると光が賑わい、楽しそうに躍動し始める至福の一時をあなたに

人の3悪を反転する ~一言の悪口・一生の徳失~

「いいことをすると、いずれ自分に返ってくる」って、聞いたことありません? それとは反対に、「人に悪口を言うと、その悪口が自分に返ってくる」という内容のこともたまに聞いたりします。それって本当なのでしょうか。

ではまず、グチとか悪口の循環のしくみを説明します。グチ、悪口はその内容がどうであれ、結局相手を落とすことで、「自分は正しいんだ」と自分を安心させるために言っていることが多いんです。つまりそれは自己保身、自分を守るための言葉なんです。そして自己保身とは、その奥に「自分がよければいい」という我の心が潜んでいます。

「我田引水」という言葉を知っていますか?自分の田んぼだけに水を引いて他の人の田んぼに水を送らず、自分の田んぼだけが豊作になった。それは一時自分を幸せにしてくれますが、その後周りの人に恨まれたままその人は幸せになれるでしょうか。我は一時自分を幸せにするように見えて、実は全体に害を与えている、ということです。いずれその恨みは本人に返っていくでしょう。悪口やグチの奥にある保身の思いが、いずれ自分を本当の幸せから遠ざけ、不幸に向かわせるというしくみです。そのループに自分がはまっていることに気づけず、更にグチを続けると、それがクセになりどんどん抜け出すのが難しくなります。「一言の悪口、一生の徳を失う」という言葉は言い過ぎかもしれませんが、それくらい危険なものだという認識が表れた言葉です。

 確かに、「相手が本当に悪い時でも、悪口を言ってはいけないのか?」「グチを言ってストレスを発散するのは悪いことなの?」という言葉が返ってきそうです。人間は、うそと悪口とねたみの3悪だけは、いくらやめようと思ってもやめることができない、という話も聞きます。でもあなたは、自分を守るために嘘をつき、悪口を言い、人をねたむ人を尊敬できますか?

人は誰でも幸せになりたいという思いを持っています。そして、その3悪が巡り巡って自分を不幸にするのなら、自分を幸せにするためには、自分を守るよりも、人を守るための行動が必要なのではないでしょうか。例えばウソでも、相手の成長を願って導くための「方便」という嘘もあります。悪口も、相手のためになるよう考えて伝えるなら、それは「指導」や「思いやり」になります。ねたみも、相手を引きずり下ろすのではなくて、自分の可能性を信じ、その悔しさを自分を磨くための糧とできるなら、その悔しさは成長の「チャンス」に変わります。幸せになるためには、3悪の行為の反対、つまり、保身ではなく人を生かし育てようとする思い、この思いが逆にあなたをも育て、あなたを幸せにしてくれるということです。たとえ3悪の心が起こっても、それを口に出す前に、自分の中の保身の心と向き合い、自分の非も認めながら、冷静に考え直してみる。そんな一呼吸があれば、自分を不幸の道へ誘うことも少なくなるのです。

f:id:Fujiwaraya:20211025091914j:plain