木漏れ日の散歩道

小鳥が囀り、小川がせせらぐある森の中、木漏れ日が誘うその奥に、ひっそりとたたずむ小さな祠。そこに座ると光が賑わい、楽しそうに躍動し始める至福の一時をあなたに

自分で自分の機嫌をとる

定時制に来て最初の年のことです。教室には髪を染めている人や、両耳にピアスを堂々としている人が何人かいました。注意をすると、キレて机をたたいて帰る、壁や掃除用具入れを蹴って帰るというようなことも何度かありました。授業中も教科書も出さず大声で友人と会話を続け、私自身キレるのをグッと抑えながら授業をしていたことも多々ありました。家に帰ってからも学級崩壊が頭をよぎり、胸が苦しくなってなかなか眠れない夜もありました。そんなある日の夜、「クラス目標」を作ることを思いつき、最初に出てきた案が、「自分の機嫌は自分でとれるようになろう」でした。

翌日の授業で、このクラス目標について、こんな風に話をしました。

「このクラスには大学を目指す者や、専門職を目指す者、また夢も希望もない者、とりあえず高校卒業資格がほしい者、いろんな人がいます。先生がいくらがんばって授業をしても、授業に真剣な人もいれば、よくしゃべる人、キレる人、日本語がまだしっかりわからない人などが混在する中で、まとまらないばかりか、お互いにストレスが溜まるだけです。昨日の授業ではさすがにオレもキレかけました。その日の夜帰ってからずっと、全員に合うクラス目標を考えました。出た答えは、『自分で自分の機嫌をとれるようになろう』。友人が怒って帰ってしまっても、自分は自分の機嫌をとって上機嫌でいる。怒るなんて台風と一緒で一過性のことだ。過ぎれば終わる。それにいちいち流されない自分を作っていこう。これは昨日の反省を生かした先生自身の目標でもあります。そしてもしこの目標を一人一人が守れるようになったら、世界が平和になる。イライラを自分で何とかできないから戦争が起こるし、けんかやいじめが起きる。この目標は、一生の目標になるかもしれないし、先生もまだできない。だから、みんなで一緒にがんばっていく目標にしよう。」

誰かが、その目標でいいんじゃない、と言ってくれて、一つ目の目標はこれに決定しました。私の心にもようやくある種の落ち着きが生まれた瞬間でした。

それから1年後、このクラスは3年生になりました。4月に、じゃあ今年はどんなクラス目標にする?とみんなに尋ねたら、ある生徒が「先生、去年のあのクラス目標やけど、1年経ったらホンマにほとんどの人が自分で自分の機嫌とれるようになっとった。だってもうキレる人あんまりおらんもん。目標って、やっぱ大事やな。」って言ってくれました。その言葉がどれだけ嬉しかったか。この目標はクラスのみんなを成長させてくれ、私をも救ってくれた、今でも大切な言葉の一つです。

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