ワクワクと固執
幼子のような快(ワクワク)が人に輝きを与え、魅力を与える。
快(ワクワク)の奥には、個々人が持つ聖なる心のうずきがあるからだ。
その聖性の働きに自己のすべてをゆだねる時、我(が)なる自己は消え、人は天命とともに歩み始める。
大業を達成する人はその聖性ゆえに、人生の艱難(かんなん)や辛苦や恥をかくことをいとわない。
人生は運気で決まり、運気は「快(ワクワク)」に身をゆだねる覚悟に比例する。
人が快(ワクワク)で生きる時、その波紋は無意識に新しい出会いを引き寄せる。
何かに固執することは、その対象が何であれ快(ワクワク)を喪失させ、孤独を生み、その反動で欲を生む。
自分の恐怖心を認めて赦(ゆる)し、焦らずに少しずつ快(ワクワク)と交感していくことで、物事は自ずと整ってゆく。