木漏れ日の散歩道

小鳥が囀り、小川がせせらぐある森の中、木漏れ日が誘うその奥に、ひっそりとたたずむ小さな祠。そこに座ると光が賑わい、楽しそうに躍動し始める至福の一時をあなたに

ワクワクと固執

幼子のような快(ワクワク)が人に輝きを与え、魅力を与える。

快(ワクワク)の奥には、個々人が持つ聖なる心のうずきがあるからだ。

その聖性の働きに自己のすべてをゆだねる時、我(が)なる自己は消え、人は天命とともに歩み始める。

大業を達成する人はその聖性ゆえに、人生の艱難(かんなん)や辛苦や恥をかくことをいとわない。


 
人生は運気で決まり、運気は「快(ワクワク)」に身をゆだねる覚悟に比例する。

人が快(ワクワク)で生きる時、その波紋は無意識に新しい出会いを引き寄せる。

何かに固執することは、その対象が何であれ快(ワクワク)を喪失させ、孤独を生み、その反動で欲を生む。

自分の恐怖心を認めて赦(ゆる)し、焦らずに少しずつ快(ワクワク)と交感していくことで、物事は自ずと整ってゆく。

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