木漏れ日の散歩道

小鳥が囀り、小川がせせらぐある森の中、木漏れ日が誘うその奥に、ひっそりとたたずむ小さな祠。そこに座ると光が賑わい、楽しそうに躍動し始める至福の一時をあなたに

性と快

爽快な体は爽快な心をつくり、爽快な人生を形づくる。

爽快感を伴う天へとつながる体には、体の中心軸に性エネルギーがしっかりと流れている。

性と言われるものも本来、欲ではなく、それは広大なスケールの信号。

性の性以前の働きは、異なる存在との交感をうながす力。


すべての存在は互いに異質で、それゆえに広大な相互エネルギーが生まれる。

人は異なるものと互いに交流することで、自己の本質エネルギーにつながっていく。

その感覚を「快(楽しい)」といい、快は異質なものとの間に共鳴をもたらし調和を与える。

体の中心軸にフタをしてその流動をふさぐ時、欲としての愛欲が生まれる。

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自分で自分の機嫌をとる

定時制に来て最初の年のことです。教室には髪を染めている人や、両耳にピアスを堂々としている人が何人かいました。注意をすると、キレて机をたたいて帰る、壁や掃除用具入れを蹴って帰るというようなことも何度かありました。授業中も教科書も出さず大声で友人と会話を続け、私自身キレるのをグッと抑えながら授業をしていたことも多々ありました。家に帰ってからも学級崩壊が頭をよぎり、胸が苦しくなってなかなか眠れない夜もありました。そんなある日の夜、「クラス目標」を作ることを思いつき、最初に出てきた案が、「自分の機嫌は自分でとれるようになろう」でした。

翌日の授業で、このクラス目標について、こんな風に話をしました。

「このクラスには大学を目指す者や、専門職を目指す者、また夢も希望もない者、とりあえず高校卒業資格がほしい者、いろんな人がいます。先生がいくらがんばって授業をしても、授業に真剣な人もいれば、よくしゃべる人、キレる人、日本語がまだしっかりわからない人などが混在する中で、まとまらないばかりか、お互いにストレスが溜まるだけです。昨日の授業ではさすがにオレもキレかけました。その日の夜帰ってからずっと、全員に合うクラス目標を考えました。出た答えは、『自分で自分の機嫌をとれるようになろう』。友人が怒って帰ってしまっても、自分は自分の機嫌をとって上機嫌でいる。怒るなんて台風と一緒で一過性のことだ。過ぎれば終わる。それにいちいち流されない自分を作っていこう。これは昨日の反省を生かした先生自身の目標でもあります。そしてもしこの目標を一人一人が守れるようになったら、世界が平和になる。イライラを自分で何とかできないから戦争が起こるし、けんかやいじめが起きる。この目標は、一生の目標になるかもしれないし、先生もまだできない。だから、みんなで一緒にがんばっていく目標にしよう。」

誰かが、その目標でいいんじゃない、と言ってくれて、一つ目の目標はこれに決定しました。私の心にもようやくある種の落ち着きが生まれた瞬間でした。

それから1年後、このクラスは3年生になりました。4月に、じゃあ今年はどんなクラス目標にする?とみんなに尋ねたら、ある生徒が「先生、去年のあのクラス目標やけど、1年経ったらホンマにほとんどの人が自分で自分の機嫌とれるようになっとった。だってもうキレる人あんまりおらんもん。目標って、やっぱ大事やな。」って言ってくれました。その言葉がどれだけ嬉しかったか。この目標はクラスのみんなを成長させてくれ、私をも救ってくれた、今でも大切な言葉の一つです。

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自覚と絆

人の歴史はケンカと仲直りを()り返して進んで

 

ぶつかり合って、答えを(さが)して、認め合って、(かな)で合って

 

そうやって感じ合いながら今の僕らがつくられて、今の時代が築かれた。

 

大きな時代の(ふところ)(いだ)かれて、僕らは今を(たく)されている

 

時はいろんなものを創造(そうぞう)-発展(はってん)-衰退(すいたい)-崩壊(ほうかい)(うず)の上にのせる。

 

僕らはその渦の中心に宿(やど)答えを探す旅人

 

崩壊(ほうかい)の中で大切なものを学べたなら、時を信じて希望(きぼう)をつなごう。


この胸に宿やどる時代をえたきずなを信じて


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対抗と受容

 愛を得られない人は、常に何かと葛藤している。

不快な片方を強引になくそうとすることは、同時に好ましいもう片方の進展をも妨げる。

意識が勝敗や善悪にあるうちは、悩みの対象は外側にあるように見える。

でもそれは対抗意識を超えるために、あなたが自分で用意したステップにすぎない。



自然界には本来、勝敗も善悪も存在しない。

勝敗や善悪の思いに生きる人は、無意識に人を責め傷つける。

そこから抜け出すには、対抗モードを受容モードに切り替えること。

意識が対抗から受容に変わったとたんに、その人の本来の魅力が光を放ち始める。




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「今」と中心

未来は予感の段階で決まり、予感とは「今」の体感を読むこと。

大切なのは力んで未来を望むよりもまず、「今」の自分と会話すること。

実現すべきが実現しないのは、気づかない心の奥で自分がその実現を否定しているから。

自分が実現したいことを実現するには、自分のエゴが納得できないことをも含めた全体を受けとめる必要がある。

 

植物は重力を受けとめて天に向かい、風雨に耐えて実をつける。

人の信念はそうして育ち、人の愛もそうして生まれる

人は常に「今」に生き、自らの世界の「中心」に生きている。

現状と自分との関係を正面から理解し、受けとめるとき、現実は自分が求めるように変化し始める。



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我(エゴ)と幸福

まわりが(かがや)いて見える人は、その人自身が輝き始めている。


誰かに強く(あこが)れる人は、いずれ誰かにとって強い(あこが)対象(たいしょう)になる。


人の中に(いや)なものしか()れない人は、自身の心のフィルターを観ているにすぎない。


フィルターとは自分さえよければいいという(エゴ)の思いで、(エゴ)の分量に応じて人は幸せが自動的に制限(せいげん)される。



恋人ができて不安の心が強まる人も、その奥に我欲(がよく)としての愛が(ひそ)む。


(エゴ)天が与えた幸福(たね)崩壊(ほうかい)させる。


生命という生命は、幸せという一点に身を(まか)せるようにできている。


大自然の幸福は、そのすべてが幸せに向かうことによって達成(たっせい)する。


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ブログ開始の挨拶

初めまして、ふじわらやです。

日々の幸せをかみしめながら、楽しく生きてます💖

ブログを始めたきっかけは、単純です⭐

私の周りにいる守護的存在さん達から、そろそろ動いたら?💨と言われ続け、なーんて言うと変な人っぽいですが、偽名なので素直に言います(笑)


ホント言うと、今仕事も忙しいのでやりたくなかったんですが、そうちょいちょい言われ続けると、何もしないことに罪悪感って湧いてくるんですよね…🥺

てことで、始めてみました🎵

せっかくなら今まで溜めてきたものも含めて出していこうと思ってます🌟

よろしくお願いしま~す❗